昨年秋、我が家に引き取ってきたとき、母は自力で歩けませんでした。
家内をハイハイで移動してました。

頭もだいぶぼけぼけしてました。
いっときなんて「今は昼? 夜?」とか聞くくらいぼけてました。
(関連記事です→『一過性のぼけ』)



そして肺炎。
治ったと思ったら今度は脊柱管狭窄症。
はいはいどころか寝たきりになってしまいました。
正直、いっとき私は思っていました。もう家で見るのは無理かもな、と。



ですが78才の老体でも。人の体は回復するんですね。
少しずつ母は回復しました。
回復して、杖や歩行器を使って立位保持や少しの歩行ができるようになると。
彼女は台所に立ちたがりました。

多分、私が料理が壊滅的なので、美味いものを食べたかったら自分で作るしかないと思ったんじゃないでしょうか。

まあ何事にしろ意欲があるのはいいことだと思ったので、好きにやらせてみました。

体が動ける時間内で、それなりに食べられるものを、彼女は作りました。
…作ったあとの台所はぐちゃぐちゃの惨状になってはいましたけど。

1回作ると自信を持ったのか、彼女はしばしば食事を作るようになりました。
後片付けはしません。私がもさもさ片付けます。
まあ片付けくらいはいくらでもしてやります。
一時は寝たきりだった母が、台所に立っているという事実だけで嬉しかったです。

その時点ではまだ台所は私のもので、リハビリのために母に貸してやっているような感覚ではありました。

しかしその後も母の回復は著しく。
「自分で歩いて買物行ってきた
(。・ω・。)ドヤァ」
という事態になり、そうするともう私のあずかり知らぬものが冷蔵庫やストッカーに入っているわけで、私は台所を把握しきれなくなりました。

「あーもうめんどくさ。あんたもうずっと飯係やってー」
投げやりに私は言いました。
「おう。ええで(。・ω・。)キリッ」
母はその気になりました。
「やっぱ飯作るんはあたしのが上手いね!
(。・ω・。)フンスフンス」
「はいはいそーですね」

…じっさい私の壊滅的な料理よりは、母の作る料理のがまともでした。
時々髪の毛入ってたりするけど。卵の殻のかけら入ってたりするけど。

台所を完全に任された母は、それまで作るだけで後片付けはしなかったのが、不十分ながらも片付けもやるようになりました。

もう現在では私は自分のコーヒーを入れるときくらいしか、台所に立ち入りません。台所はもう母の領土になってしまいました。



乗っ取るほど元気になってくれてありがとう母。