定年リタイアにはまだ間がある今年、介護離職で無職となりました。

長年、(金銭的)必要に迫られて、外に働きに出ていましたけど、元々のタイプとしては自分は引きこもりだと思います。

なので、この機会に引きこもりを極めてみようかなんて、一瞬考えましたけど。
すぐに、ああ無理だなって。
『引きこもり』の定義をどうするかでそもそも違ってくる話ではありますが、「外に出ない」「人と会わない、関わらない」と考えると、引きこもりもいざ極めようと思ったらかなり難しいのではと気付きました。

だって、お母さんが部屋の外に食事を置いて「お願い、○○男、出てきて」と泣くような、ハイレベルな引きこもりであっても、お風呂やトイレには部屋から出てくるわけでしょう? 病気になったら病院に行くわけだし、そもそも世話してくれる家族が年老いたり亡くなったりすれば、もう一室に籠もってはいられません。

日々の買い出しは、ネットスーパーに宅配して貰うとしましょう。
仕事はネットで稼ぐとしましょう。
病気も、よほどの重病以外は、ネットで薬を買ってしのぐとしましょう。
税金等の支払いもネットから済ませるとしましょう。

…それでも、一切外に出ず、一切リアルで人と接触せずに、生きられるかと言ったら…難しい。というかほぼ無理だと思う。

まずゴミ出しがあります。ゴミ捨て場に行く道中には、一人や二人ご近所さんと行き会って、「昨夜は酷い雨でしたね」「ほんとですねえ」程度の挨拶はしなければなりません。
持ち家や、借家でも地域によっては、班長だの組長だのまわってきます。ご近所をまわって組費を集めたり、公民館の掃除を手分けしてやったりしなければなりません。
何年かする間にはエアコンが壊れたり洗濯機が壊れたりします。買うのはネットで買えますけど、実際届けて取り付けるのは生身の人間です。その人に対応しなければなりません。
定期的にガス器具点検とか電気設備点検とか言って、訪問者もやって来ます。「あ、どうも」程度の会話であっても立ち会わなければなりません。それで異常が無ければいいですが、問題箇所が見つかったら、じゃあ修理日程は…とか、更に引きこもっていられない状況へとつながっていきます。

…そんな風に、突き詰めて考えていくと、人間社会に生きている以上、完璧に引きこもって暮らすことは不可能なのではと思えてきます。
引きこもりを極めるには、無人の惑星にでも行って独りでサバイバルするとかじゃないと無理に思えます。
…だけど、無人の惑星にいるのなら、そもそも引きこもる意味はあるのか?
そもそも自分しか居ない世界に引きこもりという概念は成り立つのか?

やっぱり、無人惑星や無人島では駄目で、他者の存在があって、関わる煩わしさや面倒さがある世界に身を置いてこその「引きこもり」なんだと思う。
で、結局、そういう世界に生きていては、他者と全く関わらずに生きるのは難しい。
なので結論としては、
「引きこもりも真剣に極めようと思ったら、とてつもなく難しい。というか無理」
ということになるんだろうと思いました。