私もそれなりに長く生きてますので、現在に至るまでには何度も死にたいと思ったことがあります。

何度かは身辺整理までしました。

・死にたくなったらまず数を100まで数えてごらん。ゆっくりね。
・次に身辺整理をしてごらん。
・それから10年後の自分に宛てて手紙を書いてごらん。

そう教えてくれたのは誰だったでしょうか。学校の先生だったかも知れないし、なにか本で読んだのかもしれません。忘れました。

この3つは、何を目的としているかは明白です。
3つともそれなりに時間と手間が掛かることです。やっているうちにトーンダウンし、疲れて、死ぬ気が失せるのが狙いだと思います。

実際私は1,000回死にたくなったうちの980回くらいは、数を100まで数えているうちになんかうやむやになり、結局生きながらえました。
19回は身辺整理をしているうちに、疲れてもきたし、まだ捨てるに捨てられないものが在るのに気付き、結局生きながらえました。

1度だけ、身辺整理もつつがなく終わってしまい、最終手段の「手紙を書く」ところまで実行しました。

「遺書」でなく「10年後の自分に宛てた手紙」というところがミソだと思います。
遺書なら、情動に任せ、今現在の「死にたい!!!」という気持ちのままに書き殴れますから、書いているうちに更に死にたい衝動が過熱する可能性があります。
しかし「10年後の自分」なんて、今しも死のうと思っている現在からしたら赤の他人です。他人にあてて文章を書くのには冷静さが必要とされます。
書いているうちにどんどんトーンダウンして…なんと言うんでしょうかね、下世話な表現ですけど、いわゆる「賢者タイム」に入りました。…そして生きながらえました。10年後にもしまだ自分が生きてたら、読んでみようと思いました。

「10年後の自分に宛てた手紙」は極小テキストファイルとして、10年間私のPC内にありました。
読む気はしませんでした。
途中何度かPCの買い換えをしましたが、何となく捨てるに忍びなく他のファイルとともにその都度新PCに移行しました。

10年経ち、そう言えばそんなもんあったなーと思い出し、読みました。
10年経つと自分で何書いたかなんてすっかり忘れています。
10年後の自分も赤の他人ですが、10年前の自分ももはや赤の他人です。

10年若かった自分の手紙は微妙に青臭くて読んでいてちょっとこっぱずかしい部分も確かにありました。
でも情動に呑まれず冷静に書こうという努力のようなものも感じられます。
と言うか、思ってた以上に冷静です。
手紙の後半には「現在の煙草の値段は…」とか「バスの運賃は…」「今年の1番大きなニュースは」みたいな、その時点での事が淡々と羅列してあります。
10年後の自分に当時の煙草の値段なんて知らせてどうするつもりだったのか。もっと自分の気持ちとか書いても良かったのよ?(。・ω・。)とつっこみたくなりました。
自分は、自分で思っている以上にドライで事務的なんだなと、その時思ったです。



あなたももし死にたくなったら。10年後の自分に宛てて手紙を書いてみるといいよ。
それでもってもし10年後に生きてたら、その手紙を読んでみればいいよ。
面白いから。


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マンションの庭の薔薇です。いっぱい咲きました。