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2台ワープロ専用機を経て、3台目にしてようやくパソコンを買いました。1990年代初頭だったと思います。


移行した理由は、ノートパソコンがカラー画面になったから。
この時代、ワープロ専用機はまだモノクロ画面が主流でした。
ノートパソコンもずっとモノクロ液晶でしたが、ちらほらとカラー液晶が出始め、そして庶民の手の届く値段になってきていました。

因みにカラーと言っても8色だか16色表示だったと思います。
パソコンの性能の限界ではなく、OSがそれ以上の表示は出来ませんでした。

8色www

と思ったそこのお若いお方、
当時はモノクロがカラーになったというだけで十分魂が震えたんじゃよ。
(。・ω・。)

OSはMS-DOSで、最新バージョンは5でした。
でも、動作が軽い・安定している・サイズがコンパクトなどの理由で、2や3などの古いバージョンもよく使われていました。
Windowsはまだありませんでした。
いえもしかしたら既に存在していたのかもしれませんけど、少なくとも日本の一般市民にはまだ浸透していませんでした。

サイズは2台目の書院さんとほぼ同じ位。
価格は、本体とプリンタ、ワープロソフトとで、50万位でした。
プリンタは5万もしなかったけど、ワープロソフトが10万近かったです。
パソコンを買うと最初からMS-IMEが付いていて、ワードパッドやメモ帳で日本語の文章が打てる時代が来るなんて、その時代には想像すら付きませんでした。

ワープロソフトは
当時一太郎と双璧をなすワープロソフトでした。
過剰な機能が無く、動作が非常に軽いのが売りでした。
フロッピーディスク5枚組で販売されていました。

ところで私が買ったノートパソコンには、

ハードディスクがありませんでした。

この時代ノーパソにハードディスクは、まだ当たり前ではなく「あった方が便利だけど、まあ持ってない人も多いよね」的なものでした。

ハードディスクのないパソコンで、フロッピーディスク5枚組のワープロソフトをどうやって動かすのか?
2つ付いているフロッピーディスクドライブに、5枚の内の2枚のフロッピーを挿入し、必要に応じてフロッピーを入れ替えて使うのです。
当たり前ですけど、フロッピーディスクというのは読み込みも書き込みも遅い媒体です。
そんなフロッピーを頻繁に差し替えて作業していたら、作業効率は良いわけありません。
そんなわけで、折角軽さが売りの松なのに、フロッピー媒体で使っていてはその速さが実感できないので、私は観念してハードディスクを買いました。

因みに容量は260MB(GBでもTBでもありません)、価格は5万弱でした。
 
ハードディスクに5枚のフロッピーのプログラムを全て入れることで、ようやく松は本来の速さを発揮してくれるようになりました。

260MBのハードディスク

…今考えると笑い話ですよね。USBスティックだってGBの世界なのにね。
でも当時は十分すぎるサイズでしたよ。
このノートパソコンとお別れするとき、ハードディスクはまだ半分以上空きがあったくらいです。


大きな容量のハードディスクが作れるようになったから、それに合わせるようにソフトが大型化していったのか。
ソフトの多機能・大型化を支えるべく、ハードディスクの大容量化が進んだのか。
ニワトリが先か卵が先か、分かりませんけど。

「GBのハードディスクがその内出現する」
「GBwwwww ないわー!」

という時代が確かにあったのですよ。ほんのン十年前にね。