動物、大好きです。
でも犬を安楽死させたことがあります。


老老介護が崩壊して、実家には老犬が1匹、残りました。

救急搬送されたと連絡が入り、駆けつけた私に母が言ったのは、自分の苦しさでも私へのねぎらいでもなく、残してきた犬を頼むということでした。
「あの犬は外でないとうんこおしっこしないねん。散歩連れてかんと病気になってまう。私は日に3回連れてってたけど、そこまでせんでええから。最低1日1回でええから。散歩させたってや」
何故かエセ関西弁になってしまいましたが。そういう内容のことを彼女は言いました。

え、待ってお母ちゃん。
それって、私毎日最低1回は実家に行かなあかんねん?
私にも自分の家と生活が…
お母ちゃんの見舞いにもこんとあかんし。
父ちゃん暴れまくってていつ強制退院させられるか分からんけん、退院先も考えとかんとあかんねんで?

何故かまたエセ関西弁ですが、そんな風にその時私は思いました。

犬は大きめの柴犬でした。
オス。15才越えの老犬。
白内障で殆ど目は見えない。
耳も患っていて殆ど聞こえない。
母がまめに動物病院に連れて行っていた。
父が子犬の頃虐待したせいで、特に男性に対して恐怖心が強く攻撃性が高い。…要するによく吠え、飛びかかり、噛みつく犬ってことです。

「子犬の頃、しつけとか言ってじーさん2時間もぶっ通しで叩いてた。異常だった」

…あんたはそれを黙って見とったんやな。

私がそう言うと母は黙ってしまいました。
うん。分かってる。そこで止めたら自分が2時間叩かれそうだったから。怖くて見て見ぬ振りをしたんだね。
私もそういう父の異常性が耐えられなくて家を出てるわけだから、そこは分からないわけじゃありません。母を責められません。

ただ結論として言えば。犬は、そんな幼少期を過ごしたせいできわめて情緒不安定で、小心で、刺激に弱く、凶暴な犬になってしまっていました。

「ペットホテルに預けたこともあるけど。馴染めなくて疲れ切って病気になって帰ってきた」
母は言います。
「気が小さい犬だから。場所が変わると駄目なの。実家でないと駄目なの」


母と父の年金通帳を預かっている私としては、別の意味でもペットホテルの使用は非現実的でした。
凶暴なため個室対応となっている父が、毎日部屋代だけで5,000円強使っています。
2人合わせても年金は23万円。
…ペットホテルは1日4000円。
2、3日ならともかく、何日続くか分からない状況…無理に決まっていました。

朝、実家に行って犬を散歩させ、餌と水を交換する。
その足で病院に行き親を見舞う。
買物等を済ませて自宅に帰る。
それから親の洗濯をして、次の日持って行く着替え等を準備して、自分の風呂や食事を済ませ、寝る。

実家。病院。買い出し。自宅。
実家。病院。買い出し。自宅。
実家。病院。買い出し。自宅…

今までは日に何度も散歩させて貰い、通院もさせて貰っていた老犬は、1日に1度、命を繋ぐための最低限の世話をされ、それ以外の時間は放置される日々になりました。
私が行く度に、少しずつ犬は弱っていっているように見えました。

最初母は、近所の人にも犬の散歩を頼んだようです。家の鍵を預けて。
しかしその近所の方は、すぐに私に鍵を返してきました。

自分も自分の家のことがある。自分の犬の散歩もある。何より人様の家の鍵を預かる責任が辛い。

近所の方の言うことはもっともでした。
良識的な方だと思いました。
ただ救急搬送されていく母に必死の形相で頼み込まれて、断り切れずに鍵を受け取ってしまったのでしょう。

実家。病院。買い出し。自宅。
実家。病院。買い出し。自宅。
実家。病院。買い出し。自宅……

その内実家の近所からクレームが出ていると人づてに聞きます。
犬が(私の居ない間)ずっと吠えている。うるさくてたまらない、と。

犬を私のマンションに連れて帰ることも検討しました。
一応ペット可のマンションです。プードルやダックスなどの小型犬が殆どで、中型犬を飼っているお宅はさすがにないようですが。
しかし連れてきたところで、私は母の見舞い等で出掛けなければならず、1匹で留守番させておく時間が長いことに変わりはありません。犬が鳴いたら、田舎の一戸建てでさえ文句が出るのに、マンションだったらもっとクレームが出るでしょう。
そもそも場所が変わると耐えられない犬だと母は言っていました。
私が連れて帰るという選択肢は、だから消えました。

子犬だったら。
健康な犬だったら。
せめて人に懐きやすく凶暴でない犬だったら。
探せば、貰ってくれる方がいらっしゃったかもしれません。


見舞うと相変わらず母は犬の心配ばかりしていました。
もしも犬が死んだら、母はショックで病状が悪化したりボケてしまうのではと、思いました。

けれど。

実家。病院。買い出し。自宅。
実家。病院。買い出し。自宅。
実家。病院。買い出し。自宅……

あれ?
これ私、死ぬんじゃね?
親より先に私、死ぬんじゃね?
一人娘の私が死んだら、この事案どうなる?


心身ともに余裕をどんどん失っていきました。
病院に行くため車を走らせていて、電車の一駅分の距離行き過ぎたところではっと気付いたとき、ああ限界だなと思いました。

犬。父。母。実家。自分。
全部は、しょえない。
じゃあどれを。
切り捨てる?



病院に行って。臥床している母に言いました。

私もう限界なんだ。
犬、処分してええかな?


母はしばらく考えていました。
それから、ええよと言いました。

母から、犬のかかりつけだという動物病院の名を聞き、電話をしました。
そちらでは犬の安楽死はやって頂けますか?
聞くと、やっていますと答えが返ってきました。
夕方でしたが、これから連れてきても大丈夫と言ってくれました。
1日経つと決心が鈍ると思いました。
「○○(犬の名です)おいで。出掛けるでー」
私が自分の車の後部座席のドアを開けると、犬はしばらく考えていました。
今まで犬は母の車にしか乗ったことがありません。私の車に乗ったことはありません。
5分くらい悩んでから、犬はようやく車に乗る気になったようでした。
前足を車の中に入れ上がろうとしました。
衰弱している老犬は自力で車に上がれませんでした。
私は抱えて車に乗せました。
私が抱えたとき初めて犬は「わん!」と吠えました。
よく吠えよく噛みつく犬と母から聞いていました。実際父は何度も噛まれ何針も縫ったとも聞いていました。でも私は噛まれたことも勿論無かったし、吠えられたのもその時が初めてでした。
「ドライブしようなー。ドライブ行こうなー」
言いながら動物病院へ車を走らせました。
車から降りるとき、もう一度抱えました。もう一度吠えられました。でも噛まれませんでした。
受付の人に指示されて、裏口に回りました。
裏口から入るとすぐ処置室(手術室?)でした。
犬は激しく鳴きました。
でもベテランの助手さんにさっと処置台に乗せられて、さっと抱え込まれました。
先生はご自分がその犬を診ていたことを覚えていました。
「最近は耳を診ていたんですよ-」
先生は言いました。今まで生かすために治療していた対象を、今度は殺してくれと頼まれる。先生はどういう気持ちなのでしょうか。分かりません。考えたくありません。
「一瞬で眠るように終わります。やってしまうと取り返しはつきません。本当にいいんですね?」
「はい」
と返事をしました。
何故こういう選択をするに至ったのかの理由は一切先生は聞きませんでした。

前脚の毛を剃って、ルート確保。
1本目の注入で犬はくたりと眠りました。
2本目注入。
犬は死にました。
動物病院に教えて貰った焼き場に連れて行き、焼いて貰いました。



安楽死代:30,000円。
火葬代:6,000円。

36,000円払って、私は犬殺しになりました。