いよいよか、という感じですが。

母の短期記憶力の低下が著しい。
若い頃からボーッとして、注意力も記憶力も乏しい人ではありましたが、それでも尚「明らかに落ちてきてるな」と分かるほど、最近低下が著しい。

例えば車に乗せていてそこいらを走っていると、とある店舗を指さし
「あそこって○○さんちのやっとるとこなん?」
と聞いてきます。
「そうやで。て言うか、私に母が教えてくれたやん、あそこは○○さんちの店やぞって」
「そうだっけ?(。・ω・。)」

…みたいなことが頻発しております。



まず短期記憶力が低下する
3日前4日前のことを忘れる。

次に短期記憶がそもそも出来なくなる。
その瞬間はもちろん覚えているのだろうが、一瞬後には忘れる。
さっき食事をしたことを忘れる。
たった今やっていたことを忘れる。
なので「覚えられない」のと同義。

それから障害が中期・長期記憶にも及ぶ。
長年連れ添ってきた連れ合いや子供の顔を忘れる。
昔取った杵柄を忘れる。


いずれ私も母に「どちら様でしたっけ?」とか言われるようになるのでしょうか。
仕方ないなと受け入れられるとは思いますけど、やはり、寂しいかな。



どこから仕入れてきたのか、「ぼけ」に対する母の持論があります。
老い衰えること、死が近いことを、直視するのは勇気が要ることである。
だから神様もしくは自然の摂理が、老いや死への恐怖を感じなくて済むようぼけさせてくれるのだ。
周りは迷惑かも知れないが、本人はぼけて良かったのだそうです。



母はとても気の小さい人で、そう遠い未来のことでは無くなった死を「怖い」と言います。
ならば母にとって、ぼけたほうが幸せなのかもしれません。

職業柄何度か看取りをしたことがあります。
手を取って「大丈夫。怖くないよ」「よく頑張ったね」などと私たちは声を掛けますが、看護師だって医師だって、死んだことはないのだから、本当に怖くないのかなんて、実は分かりません。
間近に迫った死への恐怖を訴える人に「みんなが通る道だから。そんなに苦しくて怖いわけがないよ。大丈夫大丈夫」
そう言ってみせますが、根拠は全くありません。実はとても孤独で苦しくて怖い体験かもしれません。真実を知るよしもありません。

ぼけてしまったほうが母が楽ならそれでもいいと思いますが。
ぼけると本当に不安も恐怖も無くなるのでしょうか?
何も思い出せない、覚えていない自分にふと気付いたら、それはそれでとてつもなく不安で怖いのではないでしょうか?

みんな願っているとは思う。最後までボケずにしっかりしていて、体もそこそこ元気で、そして突然、痛みや恐怖を感じるまもなくコロッといってくれたらいいと。月並みですが私もそう思う。