※この写真はぱくたそ様からお借りしました



小学校の低学年で時計の見方を習いましたが、自分にはさっぱり分かりませんでした。
全く同じ原因で、野球のルールも長らく理解出来ませんでした。

時計も野球も、大人が扱ったり楽しんだりするものだから、きっととても難しいルールがそこには存在するに違いない。
――そう思って、到底自分には理解は無理だと、最初から諦めて、投げていました。

例えば時計の場合。
「7時半」と「7時30分」と「8時30分前」それぞれに、それぞれを示す、長針短針秒針の配置と角度があるのだと思ってました。
3本の針の微妙な配置と角度が織りなす、無数にある幾何学図形が暗号のようにそれぞれ「2時22分」とか「8時01分」とかに対応しているのだと思ってました。
時計を読むためには、数百数千ある暗号パターンを記憶していなければならないのかと思ってました。

野球も、3塁打だとプラス3点、でもバッターの走りが悪かったからマイナス2.5点、敵の野手の動きが悪かったからプラス0.5点…みたいな複雑怪奇な採点の合算がスコアボードに記されているのかと、考えていました。



どうしよう、と不安になりました。
自分には到底そんなものすごいルールは覚えられない。
それは自分が子どもだからだ。
きっと自分も大人になったら出来るようになるんだ。(思考の第一段階(^^;)


本当に大人になったら自分にも出来るようになるのか?
自信が無い。
馬鹿な子どもは大人になったらちゃんと利口に本当になるのか?
馬鹿な子どもは馬鹿な大人になるんじゃないのか?(思考の第二段階(^^;)


世の大人の中には、私みたいな元が馬鹿な子どもの成長した大人も一定数居るんじゃないか?(思考の第3段階



ここでお馬鹿な子どもである私の思考に、コペルニクス的転回(大げさ(^^;))が起こります。

――実は大人も大して利口じゃないんじゃね?

でも時計が読めなくて困ってたり、野球が分からなくて困ってる大人は見たことありません。

――大してお利口じゃない大人が扱ってるルールなんだから、そんな精妙精緻複雑怪奇なものではないんじゃね?



そう思って、あらためて時計と野球を見てみると。
そこにあるのは馬鹿馬鹿しいほど単純なルールでした。

目から鱗が落ちましたが、そこに至るまでずいぶん長く考える期間が必要でした。
他の子たちはそんな期間を要さずに時計読みをマスターしていたところを見ると、やっぱり私はお馬鹿な子どもだったのだろうと思います。