進撃の巨人を読んで思う
※特にネタバレになるようなことは書いてないと思いますが、未読の方でネタバレはいやだ!と言う方は、以下は読まない方がいいかもしれません。
途中の巻まで読みかけだった『進撃の巨人』を、先日ようやく最新巻まで読みました。
まだ未完の作品なので、現時点までの感想でしかないのですが。
結局この話って、
『父とはなにか?』
を描いているんじゃないのかなと。
勿論、他にも色々見所はあります。
得体の知れない巨人の怖さと気持ち悪さとか。
巨人プロレスの迫力とか。
立体機動装置によるアクションのかっこよさとか。
謎だらけの世界の不気味さとか。
その謎が少しずつ解けていくカタルシスとか。
善悪は相対的なものでしかないんだよということとか。
でもそれらに劣らないくらいのページ数と情熱をさいて、『父』が描かれています。
エレンの父。
ジークの父。
サシャの父。
アニの父。
エルヴィンの父。
リヴァイの父としてのケニー。
調査兵団の父としてのエルヴィン。
兵士達の父としてのピクシスとキース。
兵士であると同時に人の夫であり父であるナイル。
なぜこれほど執拗に『父』をこの作者さんは描くのか。
これだけ大きな作品を描かないと消化しきれないほど大きな何かを作者さんが背負っているとしたら、作者さんの父親はよほどの駄目親父か、よほどの立派な父かどっちかなのだろうと勝手に思ったりします。
そして、そうであるならば、物語の結末は、『父から何かを託された子』『父を見て何か感じるところがあった子』が、それを相克して自身が父の立場に立つことなのかな、と、…まあ、一読者の妄想であります。
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