その自然美は実は人工
放置竹林と戦い始めて早数年。
竹の伐採だけは終わっているものの、当初夢見た花園化には程遠く。
いまだに雑草まみれの荒地から脱せておりません。
しかし、周りを見回しますと、荒れ果てているのはうちの竹やぶ伐採地だけではありません。
↓
周囲はどこも、こんな感じで荒れ果てています。
理由は明白で、手入れがされていないからです。
所有者が高齢でもう手入れに来れなかったり。
祖父母や父母から山を相続した人が、遠隔地に住んでいて手入れに来れなかったり。
そもそも相続が済んでなくて、既に亡くなっている方の名義のままの山林も多そうです。
モンブランとかキリマンジャロとか、人の手が入らないゆえの美しい大自然の山もあるでしょうが。
日本の人里近い山に関して言えば、美しい山、美しい風景であるためには、人の手が必要です。里山の自然の風景というのは実は人工的なものです。
里山の荒廃は、見た目が悪いだけでなく、害虫の発生とか、不法投棄の問題、地滑りなどの災害リスクの増加など、いいことは何一つありません。
でも恐らく当面の間、里山の保全どころではないだろうなと。
それ以前にまちなかの空き家問題があります。
市中の問題が片付かない内に、山の問題まで手を広げる余裕は無いでしょう。
先日京都で空き家税導入が決定したようです。
いや逆だろう。
…と思いました。
空き家に罰則ではなく、更地だと税金が高くなるシステムをどうにかすべき。
好き好んで空き家にしている人はいないと思います。
売りたくても再建築不可の土地で買い手がつかないとか。
遺産分割協議ができないので売ることもできないとか。
何らかの理由があって、空き家になっているのだと思います。
少子高齢化。
核家族化の進行。おひとり様世帯の増加。
拠点を複数持つ暮らし方の増加。
第一次産業従事者の激減。
そういう社会状況の変化に法律がそぐわなくなっている気がします。
法律や規則は人を苦しめるためにあるのではないはずです。
現代に合わないのなら、合うように、改変や撤廃をどんどんしていけばいいのに。
…荒れた山を眺めながらそんなことを考えるBBAでした。
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