最近のいわゆるライトノベルはなぜ異様にタイトルが長いのか考えてみた
最近のライトノベルのタイトルは、本当に驚くほど長いですね。
このブログのタイトルの《やりたいことしかやりません》を、今時のライトノベルタイトル風に直すなら、
《「やりたいことしかやりません」と言いつつやりたくないこともやらなければならない現実があるわけで、まあ理想を掲げるのは悪いことではないだろうと思いつつ、ゴミ屋敷とバトルったり放置竹林とバトルったり親の介護でへろへろになってるBBAの日々をつづったブログです。あ、猫による癒しもあるよ、少しね》
みたいな感じでしょうか。
こんな長いタイトル、本の背表紙に載せきれないだろと心配になりますが、今はメインの発表媒体が紙の本ではなくネットだから、問題無いのかもしれません。
紙媒体での出版の心配はさておいても、この長いタイトル。
これ、タイトルじゃないですやん。
内容全て言ってしまってますやん。
これもう、タイトルだけ読んだら、中身読む必要ないですやん。
――と、昭和生まれのBBAは思うわけですが、現代はそれが好まれるからこそ、長いタイトルが隆盛になっているわけですよね。
では何故、現代は長い長いタイトルが好まれるのか?
BBAなりに考えてみました。
2つ、理由を思いつきました。
【1、需要側がそれを求めている】
その昔。
ネットなどまだ無い時代。
小説を読もうと思ったら、図書館や書店に出向かねばなりませんでした。
ずらりと並んだ背表紙の中から、1冊を選ぶ。
書評や、既に読んだ友人からの情報等がなければ、「タイトル」「作者」「装丁」「ぱらぱらっと立ち読みした感じ」という、限られた手がかりだけで、選ぶわけです。
当然、「面白いのに当たった!」というケースもあれば、「全然面白くなかった。ハズレだった」ということもあり得るわけで、本を1冊選ぶというのは、ある種のバクチ行為だったと言えます。福袋を買う感覚、と言えば近いかもしれません。
この福袋を楽しむ的な感覚が、多忙な現代人には合わないのかもしれませんね。
現代は、ネットがあります。幾らでもゲームも出来ます。映画も観れます。SNSでみずから情報発信も出来ます。
読書以外にも、時間を使うことが沢山あるのです。
だから、「ハズレ」を引く時間が惜しい。
だから、中身が透け見えのタイトルで、絶対当たり確実そうなものを選ぶ。
…ということなのかなと。
【2、供給側が都合が良い】
近年、Amazonさんなどのネット通販サイトが、玉石混交の魔境と化しています。
真っ当な商品に混じって、詐欺レベルの酷い商品が売られていたりします。
大抵は海外の業者で、商品の説明の日本語がとても怪しいことが多いです。
(念のため書き添えますと、海外出品者が全て悪いと言っているわけではなく、日本の出品者でも悪徳な人は居ます。
また怪しい出品者がみんな日本語が下手かと言えば、それも言い切れず、従って説明文がまともでも油断は出来なかったりします。)
怪しい日本語の商品説明は、大抵の場合、過剰に長いです。
そして殆ど、単語の羅列に近い。
例えば商品がうちのトラオだったとしますと、
真っ当な出品者さんの説明文は
《スコティッシュのオス、去勢済み。クリーム色。間もなく3才。体重4㎏。今年度のワクチン済み》
くらいの感じですが、
怪しい出品者だと
《にゃんこ! かわいい! スコティッシュフオールド! 健康で賢いです! あなたをしあわせにする! 絶対買得! 3才、若い若い 大人しい 室内飼い最適! トイレばっちり! おまけマタタビ沢山 ねこじゃらしおまけOK!!!》
…みたいな感じです。(^^;)
この説明の、やり過ぎなほどの単語の羅列はなんなのかと考えると、日本語が下手だから数で勝負と思って沢山単語を並べたわけではなく、明らかに実利を狙っていることが分かります。
現代人は何かを買おうと考えた時、まずは《ネットで検索》します。
ネットで買わずに近くのショップで買おうと思っている人でも、その商品の相場とか口コミを見るために、とりあえずネットで検索して調べたりします。
沢山の単語を羅列しておけば、より沢山の人の検索に引っ掛かりやすくなります。
より沢山の人が見てくれれば、怪しい商品でも買ってくれる人も中には居るでしょう。
そう。同じ理屈で、現代のライトノベルのタイトルは長くなっているのではないかと、思うわけです。
《やりたいことしかやりません》
だと、「やりたいこと」「やり」「たい」とかの検索ワードにしか引っ掛かりません。
一方、
《「やりたいことしかやりません」と言いつつやりたくないこともやらなければならない現実があるわけで、まあ理想を掲げるのは悪いことではないだろうと思いつつ、ゴミ屋敷とバトルったり放置竹林とバトルったり親の介護でへろへろになってるBBAの日々をつづったブログです。あ、猫による癒しもあるよ、少しね》
ならば、「猫」「ゴミ屋敷」「竹林」「バトル」「BBA」等の単語で検索した人も来てくれる可能性があります。
つまり現代のネット社会において、売る側が長い長いタイトルをつける時、そこに格調とかセンスの良さを示そうとはこれっぽっちも思っていない、ひょっとしたら意味が通る文章にしようとすら思っていない、ただただ検索のヒット率を上げたい、大海のようなネットの中で、とにかくまずはこの作品にたどりついて欲しい!
そういう販売戦略なのではないかと。
思った次第であります。
【結論】
…需要側と供給側の思惑が一致して。
そしてタイトルは長くなった…
あくまで昭和BBAがそう思っただけですからね。
当たってるかどうかは知りません。←いい加減(^^;)
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