何度かこのブログにも書いてますが、私の実家ゴミ屋敷は、遺産分割協議が暗礁に乗り上げているため、いまだに故人の名義のままになっております。
そのため売りたくても売れず、住んでもいない汚屋敷に延々固定資産税だけ払っている状況。
その状態で数年経過しております。


そして老母が、時折思い出しては沸々とグチグチと、言い出すわけです。
「私が生きてる間に、あそこの問題を解決したいねえ」
「だって今なら私がいるから
(老母の住民票はまだ実家汚屋敷にある)、自宅を売る形になるから税金安いけど、あんたが売ることになったら、住んでない家を売るわけだから、税金損しちゃうよ!」

今更何を言い出すのやら。

私だって現状が打開できるものならそうしたい。
でも遺産分割協議は相手があってのことです。
相手がハンコをついてくれないのだからしょうがない。
ダイエットのように自分一人の努力でどうにかなる問題とは、問題の種類が違います。
・相手があって自分の努力だけではどうにもならない問題を、どうにかしたいと言っている
・自分の死んだ後の私の生き方を心配している
・今のところ叶うめどの無い「もし売る場合には」という仮定の話をしている


おばあにゃん、それ心配してもどうにもならないことやん?

老母の死後は、生き残った私がどうにかする。
老母の葬儀のあれこれ、相続のあれこれ、遺品の片付けも。売れない実家汚屋敷のことも、竹やぶやもう一ケ所の畑のことも。
私の能力で可能な範囲で、私がどうにかするでしょう。
仮にそれで私が苦労しようとも、不幸になろうとも、案外うまくやろうとも、既に死んいるおばあにゃんには、もう手助けも邪魔も何もできないでしょう。

自分にどうにもできないことを考えてどうすんねん。
それよりも、自分に何ができるかできないかを考えたり心配する方が、建設的だと思う。



たとえば、老母より私が先に行くパターンだってあり得えます。
老母の中では、そのパターンはまったく考えに入っていないようですが、既に娘の私も還暦越え。もう老々介護の状況に入っていますからね。

ある日、昼過ぎても私が起きてこない。
トラオがしきりに鳴いて何かを訴えているようだ。
部屋に行ってみたら、私が冷たくなっていた。

さあ。おばあにゃん、どうする?

119する? それとも110? それとも妹のところに電話する?
いずれにしても、ちゃんと電話、掛けられますか?
よく電話かけようとしては叫んでますよね。

「竹子(仮名)~、電話が通じないよ。壊れちゃったー!」

うん。それはおばあにゃんが違うボタンを押したからだね。それかもしくは充電切らしてるんだね。

でももうそれを言ってくれる竹子は居ないよ?
部屋中に散らかした靴下やタオルを片付けてくれる人はもう居ないよ?
ゴミ出し、洗濯、掃除、どうする?
買い物や通院、銀行、どうする?



自分にどうにもできないことじゃなくて。
こういうたとえば自分が生き残った場合のこととか、
自分で改善とか準備とかができそうなことを考えるのがいいと思う。



↑げぼくが2人とも高齢なので、自分の将来が不安なトラオ。