自宅でくつろいでおりましたら、ピンポン♪とインターホンが鳴りました。
モニターに映っていたのは、見たことのない中年女性でした。

「●●と申します」
と彼女は名乗り、
「聖書についてお話ししたいのですが、今お時間ありますでしょうか?」
私「あ、すいません、今ちょっと忙しいんで」
彼女「あ、そうですか、すいませんでした」
特に粘ることもなく、彼女は去っていきました。



キリスト教も宗派がたくさんあるでしょうし、彼女が何派だったのか、聖書販売が目的だったのか、修行の一環としての布教活動だったのか、そこらへんは分かりませんし、興味もありません。

しかし、ここでだけ告白させてもらおう。
聖書について語らせたら、わしもそこそこ詳しいよ
(´・ω・)





実は聖書、持っております。
新約旧約合体した一冊です。
新約のほとんどの部分は読んでおりません(おいこら)が、ヨハネの黙示録は読みました。旧約はほぼ全部通して読みました。

つまり、一大スペクタクルSFファンタジー伝記ロマンとしては、読みました。


もちろん、他のどなたかが熱く信仰している宗教や経典を否定するつもりは全くありません。
ただ日本生まれ日本育ちの私には、はるか遠い国の遊牧の民の一神教は、おそらく文章として読んで理解はできても、肌では理解できずじまいなんだろうなと。

多分自分は、無宗教だけどあえて言うなら「神道派」なのだろうと思います。

山や海といった場所、晴れや雨といった気象、あらゆるものに神性を感じることがあるし、それはいわゆる神様という人型のものであっても、竜や蛇の形であっても、あるいは気配だけで見えないものであっても、おかしくない気がします。
そして極論すれば、神道も仏教もキリスト教も、その他あらゆる宗教というものは、切り口が違うだけで、結局同じものなんじゃないかと、思ったりもしますが、
そう思う時点で多分一神教の考え方というか感覚ではないんだろうな
と、そんなことを思う日曜の朝なのでありました。